八尋寛司のプライベートルーム
「人生の大きな流れ」
    
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■第五話■ 『人生の大きな流れに乗って、大転換点を決意し実行する。』

  これまで、私自身が自分の『人生の大きな流れ』を如何にして認識するに至ったかを、両親や親戚の病気に関する事情、そして当時所属していた会社内でのバイオ分野新規事業立上げに関する事情を通して、お話し申し上げて参りました。
 そこで今回は、その認識した『人生の大きな流れ』に沿った人生設計を、どのような経緯で決断し、実際に準備し、そして具体的に実行に移して行ったか、それぞれの段階で思い悩んだ心の葛藤の状況も交えながら、NHK風では「その時、私の人生は動いた!」、をお話し申し上げたいと思います。

 会社と私の思いとの矛盾の認識、知人からの厳しい一喝、MBAの取得、決断と家族のこと、退職と引継ぎ、ハローワーク通い、資本の調達とビジネスモデルの構築、そして会社創業と立地先の選定、へと進んで参ります。
  私の身の上に巻き起こって参ります表面的な状況変化だけでなく、できましたらその裏に潜む心の中の苦しみや悩み、恐怖心や不安との戦い、周囲の人達からの暖かく厳しい様々なご支援の数々、そして私に決断の勇気を与えてくれたエネルギーの源泉の数々、そのようなことを皆様に感じ取って頂けましたら幸いです。



  まず、独立して起業しようと思った最初のきっかけは何か、という事から時系列的に、順次お話を進めて参りましょう。
  会社の思いと私自身の思いとの間に存在した矛盾を認識したこと。 そのお話からです。
バイオロボット事業の事業立上げを通じて、研究者の方々の真摯な研究への取組み姿勢に接して魅力を感じて来たこと、また私自身が遺伝子工学、細胞組織工学、生命科学や医学薬学への関心を高めて来たこと、などは前回までにお話して来た通りです。
  これからお話することは、あまり知られていないことですが、前職でありましたP社では、創業者が不文律として指示されていたことが幾つかあり、その中の一つに「人の命に係る事業はしない!」ということがありました。
  このことが、私の人生の大きな方向性を変えるきっかけとなってしまいました。 この指示は、今でも会社内で活きて存在しているのですよ。
 指示の理由は、少し前の石油ファンヒーターの件でも想像して頂けますように、小さな事業であってもいったん人の命に係る事故が起きれば、ブランドに大きく傷が付くことになりますので、それを怖れてのことだった様です。
 ですから、H立さん、T芝さん、Oリンパスさんのものはあっても、P社製の医療機器や治療機器は見かけないと思われませんか。
 まあ、簡便な家庭用計測器や診断用機器や画像機器は有るようですが、それもOEM(相手先ブランド商品)が中心であったり、販売目的がハイビジョンモニターや通信機器だったり、するかと思います。
 よって、バイオとか医療などの言葉を会社内で出すと、人の命に係る商品は出せないという問題意識が社内に働いてしまいます。
 そのことを配慮して、私達の商品はバイオロボットという名称にし、既存のFAロボット事業の一環でラボラトリー・オートメーション(LA)事業を展開している、との位置付けで事業推進を致しておりました。
 当然、業務内容も、この範疇内にある活動しか許されない制約が付いて来ます。
 どのような制約かと言えば、例えば商品化したバイオロボットを使用して、自分達でもバイオ実験を実施しようと思い細胞培養を行おうとしても、それが出来ないのです。
 まず細胞自体の購入が購買部門からは無理ですし、培養するための試薬や血清の入った培地などは保管や廃棄が出来ないことから拒絶されます。
 それを無理してゴリ押ししようとすると、本来この様な「人の命に係るような商品」は問題が有る、などとクレームが入ります。
 結局、当時最先端で大変大きな興味を持っていたDNAチップを用いた遺伝子解析(SNPs:一塩基多型解析など)や、プロテインチップを用いたタンパク質解析(プロテオーム解析など)を、自分でwet実験を実施しようにも実施できないという、社内の障壁に遭遇してしまったのです。  

 そのようなプロセス実験を行うことが出来ないのですから、必然的に先端的なバイオ研究機器を開発できる訳もなく、仕方無く研究や作業の自動化・効率化といった側面から、ロボット機器開発というアプローチだけの活動に止まらざるを得ない状況になってしまいました。
 この状況がいかに苦しいかは、電気業界の方には半導体製造装置の研究・開発においてプロセス実験が出来ない状況を想像して頂ければ、ご理解頂けるかも知れません。
 技術革新は、仮説を立て、試作・実験・評価しながら、新しいソリューションの種を発見し、試行錯誤しながら進歩して行くものだと思います。
 そのイノベーションのプロセスを進めることが出来ないことが、当時とても大きな制約条件となって、私の前に立ちはだかってしまいました。
 わたしが、何とかして病気で苦しむ患者さんへ希望の灯を灯す研究のご支援を行いたい、との思いを次第に強くして行ったことと反比例するかのように、会社内での自由度はその後も更に制約され続けて行きました。

 このようにして、会社内で私自身の強い思いと、会社の方針との間に、大きな矛盾を生じて行ったのです。それも、時間が経過するにつれて、どんどん大きくなりました。
 また丁度その頃、バイオロボット事業が一つのグループに格上げされて、既存事業と同列になることになったのですが、その新しいグループ内での私の立場は、まるで鵜飼いの鵜のように、新しいテーマを探索検討して探し出し、吐き出しさえすればそれで良い、といったものでした。
 勿論、自分で味わうことは必要無い、とされていました。
 更に、そのグループ内には、病気で苦しむ患者さんへの思いや、研究者の方々の真摯な姿など、全く見えていない状況でした。
 当時、私自身、とても残念で、心から悔しい思いをしました。
 私の不遇に対する不満が無かったかと言えば、それは嘘になりますが、正直なところそれよりも、私自身のこの事業に対する熱意や思いが理解・評価されず、それが継承されていないこと、そのことの方が無念で無念でなりませんでした。
 結局、私はこのバイオ事業グループから外されてしまい、皮肉なことに、第四話でお話したように、バイオを企画終了した時に研究所長へ反発して希望していた機能材料の研究を行う研究所へ、皮肉にも舞い戻ってしまったのです。
 希望した時にはその希望とは違う別の部署へ移動させられ、そして希望しなくなった時にはその希望しない部署へ移動させられてしまうものなのですね。
 でも、「人生万事塞翁が馬」でして、何が自分の人生にとって良いか悪いかは、誰にも解からないものです。
 もしこのことが無ければ、私は自分で起業しようなどとは思いもしなかったし、自分の人生の大きな流れに気付くことも無かったことでしょう。


 お話は、次の段階へ移ります。
 この頃は毎晩、お酒をたくさん飲んだり、ひとり自宅の机について電気スタンドの明かりの下で考え込んだり、随分と思い悩んでいました。 このときに、本当に心の助けとなったのは、書物でした。
 本は、いつも変らず冷静に、読者へ平等に、助言をしてくれます。
 自分が悩んだり、迷ったりしたときには、必ず同じ経験をして克服していった先輩が、書物に記して、その際の身の処し方を箴言してくれています。
 皆さんも、悩んだり、迷ったりしたときには、ひとり静かに書物を探して紐解かれることをお奨め致します。必ず、良き師、良き先輩が居るものです。
 私の場合も、いろんな書物に出会い、著者に出会い、人生観や世界観、そして価値観を丁寧に指導して頂きました。
 今でも、それらの書物は私の宝物として、企画調査した時のテーマ毎の書籍と並んで、重要な蔵書となり、自宅の部屋のひとつを占拠してしまっています。
 具体的に、どのような書籍かは人それぞれの悩みや苦しみの種類によって異なりますので、ここでのご紹介は遠慮させて頂き、ご自身で心の琴線に触れる書籍や著者とを真剣に探して、見付けられることをお奨めすることに止めたいと思います。

 そうして、ようやく会社を自分で創業するしかない、との結論に至ったのです。

 でも、一気に創業へと飛躍しなくても、転職という選択肢も有ったのではないか、とのご質問がありそうですね。
 しかし、よくよく考えてみますと、経験した困難な状況はどの企業へ行っても似たり寄ったり、繰り返し生じる現象だとはお思いになりませんか?
 転職先の会社でも、途中から入社して来た人間に任せる訳にはいかないとか、他の商品開発のテーマを優先するとか、会社の事業展開シナリオから外れているとか、理由は会社によって様々かも知れませんが、同じ状況に陥ることが予想されます。
 当時40歳代前半の自分の人生設計を考慮すると、もうそんなに何度も別の会社で同じ苦しみを繰り返している時間はありませんし、定年退職まで待って創業するにはエネルギーが不足するのではないかとも思えました。
 一般的に、ひとつの新しい事業に取組んで1サイクルを回すには5年~10年は要しますので、少なくとも2サイクルは回したい思いを持っている私には、もう転職先の会社で鵜飼の鵜の役目をしている時間的余裕は無かったのです。
 更に、これは慢心して言うのでは決してありませんが、私の開発すべき商品を待っておられる研究者の方々や患者さんがきっとおられるはずで、その期待に早く応えたい、との強い思いに至りました。
 そうしますと、すべき事はどんどん具体化して行きます。
 どんなビジネスプランを立てようか、どんな事業展開をしようか、などと空想の世界に浸ってしまう時期がありました。
 この時期は、言うなれば幸せな時期だったと思います。夢物語の世界ですから。
 そんな私の甘い考えを一喝してくれた恩人をここで紹介致したいと思います。

 私が会社を起したいと相談した一人に、最初にバイオの勉強をさせて頂いた神奈川科学技術アカデミー(KAST)教育部門責任者の、坂本理さんという方がおられ、坂本さんから本当に厳しく、思いっきり叱られました。
 私は、もう、タジタジとなり、私の人生の中でも忘れられないほど、心から泣きじゃくってしまいました。
 何といって叱られたかをご紹介します。(坂本さんには、ここでお名前を出して内容をご紹介することを、ご了解頂いております。)

 『そんな甘い考えで会社を作るなどと、会社経営をナメルもんじゃ無いっ!!』
 『お前は、財務や経理、ビジネスのことなど、本気で勉強して言っているのか!!』
 『お前がもし会社を潰したら、そこで働いてくれている従業員やその家族も路頭に 迷わせてしまうのだぞぉっ!! その責任の重さを本当に解かって言っているのかぁ!!』
と、こんな調子でした。

 もう、恥ずかしくて、恥ずかしくて、子供のように泣きくずれましたねえ。
 心の中心にグッサリと杭を打ち込まれたような感覚で、暫くは立ち上がることも出来なかったように記憶していますが、あまりの衝撃に、正直なところその後のことはよく覚えていません。
 その通りです。坂本さんのご指摘の通りです。 私が甘かったのです。

 そんな、本当に大切なことを全く考えもせずに、夢物語のような空想を、ただただ自慢して回っていた自分がそこに居ました。お恥ずかしい限りです。
 徳川家康は武田信玄に三方が原の戦いで敗れた時、自分の一番情けない姿を絵師に描かせて掛け軸にし、その後身の戒めのために、その掛け軸の絵を床の間へ掛けていたそうですが、この時の私もそうすべき事態であったと思います。
 その当時の私は、研究して来たことへの自信と、バイオ分野の新規事業立上げに成功して来たことへの慢心とで、それ以外のことなど、全く考えてもしていませんでした。
 当然ですが、経営のことなど、これっぽっちも考えてはいませんでした。
 財務諸表の損益計算書、貸借対照表、キャッシュフロー計算書が解かる訳でもなく、管理会計上の損益分岐点分析や回転率の指標が解かる訳でもなく、人事管理や知的財産権や契約のことなども全く知らず、創業立上げの仕方や資本政策に在り方や理論武装など、一切出来ていませんでした。
 ほんの小さな、自分が経験した範囲内だけの成功体験に埋没してしまい、広い世界のことが全く見えなくなってしまっていたのです。
 何と無謀な、計画無しの決心だったことかと、その甘さには自分でも本当に驚いてしまいます。
 この様な大変お恥ずかしい私自身のことをお話し申し上げた理由は、もしかしたらベンチャー企業を起業しようとお考えの方が、今この第五話を読んで下さっている方の中にもおられるかもしれません。
 万が一にも、当時の私と同じ状況だとしたら、是非とも経営の勉強をしてから起業されますことを心よりお願い申し上げたく、敢えて私自身のお恥ずかしいことまで紹介させて頂きました。

 その後、私はどうしたかと申しますと、偶然にも、その頃に九州大学大学院・経済学府にビジネス・スクール(MBA)が設立されるとの話を耳にしましたので、もうこれは絶対に行くぞ!と決心して、それから必死で受験勉強とプラン作りに没頭しました。 それまでは、スカイパーフェクトTVで大前研一氏のビジネス・ブレイクスルーを視聴したり、商工会議所主催のビジネスプラン策定コースに参加したりしていましたが、じっくりとした内容把握や体系的で本格的な勉強をしたいと、もどかしさを感じていましたので、もう水を得た魚のように活き活きと試験準備を開始しました。
 このビジネス・スクールは社会人対象の夜間と休日の開講で、前職場からでも就業直後に自家用車で高速道路を経由して通学でき、在職のままでの夜学通学を計画しました。
 そして、入学試験では、ビジネス・スクールに独特なプランニング・シナリオ作成による書類選考と英会話面接、そして口頭面接試験を経て、お陰様で運良く合格することができました。
 多分クラスで最高齢の、一期生の社会人学生になりました。
 それからの2年間というものは、夜学通学して経営のいろはからを、本当に命を削るように勉強しました。
 私自身の人生の中で、最高に勉強に没頭にたのではないかと思います。
 大学受験や大学院受験の時よりも、はるかに必死で、勉強しました。

 平日は、毎日の会社業務就業直後に、大学へ向かい、夕方6時半から夜の10時半まで、2科目のクラスを受けます。  そして、終了後家まで帰って遅い夕食とお風呂に入り、夜の12時頃から次の日の勉強を2時頃までやります。 朝は6時過ぎに起きて、8時過ぎには会社へ到着です。
 土曜日は、クラスが無い時は、朝8時には起床して、それから夜の12時まで、途中食事と便所休憩以外は、ずっと勉強です。
 自分自身の集中力が持続する時間範囲が解かって来ると、それをペースにして勉強計画を立てました。
 私の場合、1時間30分間は集中力が持続しましたので、途中30分間の休憩と体操を挟んで、2時間キザミの8サイクルが勉強のサイクルです。
 日曜日も、ほとんど同じパターンでしたが、夕食、ニュース、大河ドラマはゆっくりとリラックスして見ていました。
 クラスの選択や単位の取り方も、MOTを勉強しようと思っていましたので、技術系のものは確実に取得して、それ以外に文科系のクラス、それも全くの門外漢である会計やファイナンス関係を中心に取得しました。
 経営の勉強をするきっかけとなった、坂本氏からの愛情を込めた叱咤激励の言葉を忘れるはずもなく、自分に不足しているアカウンティング、財務会計、管理会計、コーポレート・ファイナンス、リスク・マネジメント、M&A、など、これまで全く勉強もした経験の無い科目を中心に選択しました。
 中には、MBAですから当然英語だけのクラスがあります。
 日本語の会計さえ解からないのですから、もう英語になると大変です。 土曜日と日曜日、そして平日の深夜が勉強で潰れてしまう理由が、これでお解り頂けるかと思います。
 財務会計は、最初のクラスで、ほとんど言葉や意味が理解できずに、終了後先生のところへ行き、正直に「クラスの内容がほとんど解かりません。理科系の人間なのですが、今後どのように勉強を進めれば良いでしょうか?アドアイスを頂けますか?」と困惑しきった顔で質問しました。
 担当の先生は、「書店に行けば、財務会計のシリーズになった本が並んでいます。クラスの1コマ毎に1冊ずつ毎週勉強して来れば、文科系や理科系の区別無く、誰でも着いて行けますから、頑張って勉強して来て下さい。」との内容でした。
 それからというもの、先生から事前に配布されるプリント数十枚以外に、毎回1冊の本を必ず読んで、講義に望みました。
 それは、必死の思いで一回も休まずに最後まで、この方式で参加しました。お陰様で、何とか他の受講生にも付いて行ける程度にはなりました。
 コーポレート・ファイナンスは、英語版の相当厚い書籍がテキストで、日本語版も出ているのですが、上・下で約1千ページはあるものでした。
 毎回の講義で約百ページは進むので、土曜と日曜が勝負でした。
 演習問題を毎回解いて行かなければ、当てられた時に全く歯が立ちませんから、それこそ必死で解いて行きました。
 この分野の理解は全くのゼロでしたので、1ページ進むのに要するエネルギーは相当なものだったと思います。
 特に、一期生でしたので、試験の傾向も解かりませんでしたから、試験範囲内をひととおり勉強しておかねばならず、DCF法や企業価値評価、割引率やβ(ベータ)、WACC (Weighted Average Cost of Capital)や資本政策、ポートフォリオ戦略やリスク評価、投資判断の計算など、本当に苦しかったですけど、期末試験に合格して単位が取れた時には達成感を感じることができました。
 ケース・メソッドでは、毎回ハーバード・ビジネススクールの英文約40ページのケースが配布され、それを読んで内容を理解するだけでも大変なエネルギーが要るのですが、更に事前の設問に対する解答を作成して提出するのがクラス参加の条件でしたので、もう必死も必死で、これも土曜と日曜が勝負で、こなして行きました。
 内容は毎回異なっていて、研究開発のケース、コストドラーバーを設定してもABC会計のケース、サプライチェーンマネジメントのケース、事業価値評価と参入方策のケース、などなど。
 毎回のテーマが異なるもので、夫々の基本的な理論勉強をした上でケース文書を読みこなし、設問に解答し、それ以上の自分の考えをまとめて行かなければ、クラス参加しても発言することも出来ずに意味が無いし、点数も加点主義でしたので付かないといった状況でした。
 企業価値評価では、事前に与えられたテーマ企業のHPへWEBから入り、有価証券報告書、アニュアル・レポート、経営説明資料などを調査して定性分析を行い、かつ貸借対照表・損益計算書・キャッシュフロー計算書からその企業の定量分析を行い、事前に設定された設問の計算、例えばDCF法での計算やEVAの計算などを行って、クラスではその応用問題を質疑応答して行く、といった感じでした。
 格付け機関がどのようにして企業価値評価を行なうのか、どうやって相手先企業の調査をして評価まで行うのか、リスクをどの様にして評価しているのか、など。
 実際の企業をケースにしたものでしたが、これも土曜と日曜での事前作業が無いと全く参加できない状況でした。
 更に、修士論文に相当するプロジェクト演習というのがあって、2年次には毎週自分で設定した研究テーマに沿った発表を、ゼミ生3~7名の間で順次行うことが求められ、最後には正式論文へとまとめて提出することが修了要件の一つでありました。 これも結構、苦しい作業が延々と続きますし、前述の講義を受けながらの論文作成でしたので、もう体力が持たないというのが本心でした。

 いかがですか? 土曜と日曜がパンクしていることが、既にお解りですよね。
 もう、このようにアップアップの状況が、2年間も続きますと、40歳を過ぎて若くも無い私には相当に辛いものがありました。
 本当に、命を削って、勉強したと思います。
 それでも、何とか無事に修了することができ、経営修士(専門職)・MBAの学位を拝することが出来ると同時に、結果として大変有り難いことに、2つの表彰を一人で頂くことができました。
 一つは、成績優秀者表彰で、もう一つが論文賞(南伸子賞)です。
 同時に2つの表彰を受けることができましたのは、大変光栄なことでした。
 その時の論文内容は、九州大学経済学府の研究雑誌に、修了後掲載して頂きました。
 このようにして、坂本さんからの厳しいアドバイスが機縁と、九州大学ビジネス・スクールの先生方からの熱心で親切かつ厳しいご指導ご鞭撻を頂いたお陰で、経営の理論的な基礎と実践的な応用練習を密度濃く、たくさん積むことができました。
 研究職・技術職、そして企画マンとしての経験しか無かった私も、ようやく経営の理論武装と基本的な実践練習を経験できた訳です。
 そこでいよいよ、会社を退職してまで、自分の会社を創業するかどうかの、人生で最大の転換点を迎えることになりました。
 お話は、その段階へと進んでまいります。


 まずは自分自身の心の奥底からの心の声に、耳を傾けることから始めました。
 本当に、意思は確かなものか、後悔することはないか、上手く進むことだけでなく失敗することも想定してその場合どうするか、妻や家庭のこと、年取った両親のことはどうずるか、など。
 いろんなことが、頭に浮かんで来ては、どうするのか!と問いを突きつけられる毎日が、大学院修了後の高揚感が残る中で続きました。
 失敗した時の恐怖心や心配、妻への配慮、家族への影響など、後ろ向きのことばかりが頭の中を支配してしまいがちでした。
 怖いですよね。 何も上手く進む保証は無いのですから。
 老後も安泰に暮らせる年金と退職金が待っているのに、それを全て棄てて、不安で一杯の人生を選択するのですから、並大抵のことではありません。
 しかし、そんな私を奮い立たせてくれのが、第一話からお話し申し上げて来ました、私の『人生の大きな流れ』と『意味の有る偶然の一致(シンクロニシティー)』への認識でした。
 それと、何よりも妻の心からの賛同と奨め、肺結核をストレプトマイシンで克服した両親からの勧め、脊髄小脳変性症で亡くなった伯母さんや従兄弟の思い、お世話になった創薬研究者のお客様からの励ましの言葉。それらの前向きな事象が、私に勇気と大きな決断のエネルギーを与えてくれました。
 どこからかは分かりませんが、私の心の奥底からも、今回の人生の転換点は思い切って進むべきだ!との声が心のうずきとなって聞こえて来ました。
 確かに言えることは、単なる自己利益を目指したものではなく、他の方々への利益を中心とした、利他と申し上げるのは大変恐縮なのですが、周りの皆様方への利益をご提供差し上げそれを喜んで頂けること、その事が動機であることが、大切で意味の有ることだと思っていたということです。
 決して、自己目的達成が理由では無いのです。
 妻は、求められて会社創業できる人は少ないと思うし、周囲の方々があなたを求めてくださっているのだから、こんな幸せなことはないよ、と言ってくれました。 また、もし失敗してもまたサラリーマンとして二人で働いてお金を稼げばいいじゃない!そして、また挑戦しようよ!とも言ってくれました。 本当に、妻の言葉は有り難いものです。
 恐怖心に怯えて萎縮してしまいがちな私の心を、どれだけ勇気付けてくれたことか。
 私の両親や妻の親からも、賛同の声が挙がりました。
 家族の皆が応援してくれる状況が、いつしか形成されていったのです。
 そうしていると、今度は以前から知り合いとなっていた福岡の中小企業の社長さんや幹部の方から、出資してあげるから資本金を大きくしてスタートしたらどうですか、とのご支援の申し入れを頂戴するという有り難い偶然の機会を得ました。 そして、創業後も共存共栄して行きましょう!と事業展開での支援も約束して下さいました。
 また、創業時の立地場所も、当初計画していたインキュベーション施設が満室になって困っていたところ、たまたま知り合った北九州学術研究都市の幹部の方からのご提案で、北九州市のインキュベーション施設へ安価に入居できる便宜を取り計らって下さることになりました。それも、部屋内に高価なバイオ備品付きです。
 同時に、周辺の大学の先生方からも仲間に入れて頂きまして、産学連携によるビジネス展開の糸口も現実的に見えて参りました。

 本当に、これらのことは、単なる偶然というひと言で済ませることが出来ることでしょうか?
 私には、何かの大きな流れに動かされているとしか思えないのです。

 皆さんの中でどなたか、天外伺朗氏という元ソニー幹部で、CDの開発やAIBOの開発を担当された役員・責任者で、最近いくつかの本をだされている方をご存知でしょうか?
 この方が、執筆されている本の中で『フロー理論』や『大河の流れ』といった内容を記されています。
  実は、私もこの理論と同様の燃える集団による何事も成功するように物事が進んで行く経験を前職でのHTS装置開発時に経験し、今回また会社創業時から現在までで経験しています。
 私は、どうも、このような不思議な大きな流れに乗って、生きて行くことが、私の人生なのではないかと、そう思えるのです。
 この流れに乗るときは、利己的なときではなく、利他的な心の状態になっている時、そしてその利他的な活動に没頭しているとき、なのです。
 必要となる事柄が、不思議に解決したり、手に入ったりするのです。
 皆さんの中にも、このような経験と理解をしておられる方がおられましたら、是非一度ご一緒にお話しませんか。きっと、盛り上がる楽しい会話が出来ると思います。
 でも、これは今流行のスピリチュアルとは少し異なるようで、ユングなどの臨床心理学者も言っていた内容で、故河合隼雄前文化庁長官もコンステレーション(共時性)のことを言っておられました。

 このようにして、自然と、そして次第に周囲の状況が固まって行きつつ、私自身の決意も漸次固まって行った、というのが実情です。
 何か、私が勝手に退職と創業を先に決めてしまって、それに周囲が合わせるといったイメージや予想をされていた方もおられたかも知れませんが、残念ながら実情は異なっています。
 ビジネス・スクールでMBA取得後、約2ヶ月を経過した時点で、会社の方へ退職願を提出して、いよいよ創業への一本道を、棘の道かも知れませんが、歩み始めた訳です。


 今回はこれまでにして、退職以後のお話しは次回にさせて頂くことにしたいと思います。
 皆様も、いろんな人生の分岐点をご経験になられているかと拝察申し上げます。
 そんな時に、どのような思いの定め方をされておられるのでしょうか? また、その決定的な要因というものはどのようなご事情でしょうか? 
 私の場合には、前述の様な、利他の心と、私の人生の大きな流れを認識して、周囲からの求めに応じた思いから、大転換点を迎えて、通過して参りました。
 思い悩んでおられる方や、決断の出来ない状況が続いておられる方、周囲からの反対に悩んでおられる方など、いろんな状況がございますでしょう。
 そのような中で、小生の一つの事例が皆様の大きな意思決定のご参考になりましたら、この上も無い幸いです。
 最後に繰り返しになりますが、是非とも、心の状態が縛られていない、自由な発想が出来る状態の時に、視座と視点を様々に変えて複眼思考で熟考されまして、ご自身の心の奥底からの声に耳を傾けられ、そして周囲の方々からの声にも謙虚に耳を傾けられ、自然なご決断をされますこと、更に周囲の方々から賛同や祝福を得られるようなご決心をされますことを、心より祈念致しております。


     2008年 10月22日

                                STEMバイオメソッド株式会社
                                代表取締役社長   八尋 寛司


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