八尋寛司のプライベートルーム
「人生の大きな流れ」
    
第三話へ 第五話へ
        
 
■第四話■ バイオロボット事業を企業内新規事業として立上げた成功秘話』  

 今回は、実際にバイオロボット事業を大手電器メーカーの企業内新規事業として立上げ、成功に至るまでのお話をさせて頂くことで、企画・市場調査と新規事業企画のギャップ、事業企画と商品企画のギャップ、企画と商品開発のギャップ、商品開発と事業立上げのギャップの夫々をご理解頂き、実務レベルで新規事業立上げを実践する肌触り感をご一緒に擬似体験して頂けましたら幸いです。  
 そして、この一連の新規事業立上げ経験から、工学系の人間であっても医学や薬学のご研究支援が可能であり、ひいては病気で苦しんでおられる患者さんへ希望の光を灯すお手伝いが可能であることを、私自身が確信できたことまで、お伝えしたいと思います。  


 第三話でお話しましたバイオロボット事業のその後が、どのように展開されたかを、順を追ってご説明して参りたいと思います。
 それではご一緒に、新規事業立上げの思考経験にスタート致しましょう。
 
 最初に、前回までのおさらいとして、企画・調査と事業企画のギャップをお話から開始致します。
 新規事業企画のドメインを探索調査して来たことは前回お話し申し上げた通りですが、いくら企画・調査をして、良い事業ドメインを見つけたからと言っても、その結果すぐに良い新規事業テーマが設定されたということにはなりません。
 バイオ分野は結構広い裾野を持った分野で、古くは発酵や醸造といった分野から、遺伝子解析や遺伝子組換え・蛋白質生産などのニューバイオ分野まで、先行してバイオ分野へ参入し、コアコンピタンス(他社と比較して自社の優位性・競争力の束)を構築している企業がたくさん存在しています。
 バイオ分野のどの領域へ参入しても、どんなに新しい技術を持って参入しても、このバイオ市場では後発参入企業であるとのポジショニングは避けられません。
 そんな外部環境要因が存在する中で、具体的に何を新規事業として展開して行けば良いか、テーマ設定することは、結構難しい命題でした。

 当時の私は、新規事業の大きな方針として、自社の既存事業とかけ離れ過ぎず、既存技術の優位性を横展開できるテーマ設定することが、会社幹部へ大きな説得性を持つと同時に、シナジー効果が生まれて担当する技術者や間接部門への働きかけにも有効であることに既に気付いていました。
 そこで既存事業の『ファクトリー・オートメーション(FA)から、ラボラトリー・オートメーション(LA)へ』のキャッチ・コピーを基に、バイオロボット事業を中心にした具体的テーマを探していました。
 このテーマ関連で米国の英語論文を毎日読んでいますと、どうも気になるけれども、理解できない単語が繰り返し出て来ることに気付きました。
 それは、1990年代に欧米の製薬企業で盛んに行われ始めていた「ランダム・スクリーニング」であったり、「アッセイ」「コンビナトリアル・ケミストリー」「ハイ・スループット・スクリーニング」であったりしました。
 随分と長い間、一体何の事を言っているのか、そしてどのようなことを意味しているのかが解からず、悶々とした未消化感の残る日々を過ごしましたが、北海道で開催されたバイオ系学会の併設展示会で米国製HTS装置を初めて直に見ることが出来て、『これだ!』と直感的に理解することができました。
 その後は、筑波や関東・関西へ出張しては製薬企業の研究者の方々を訪問して、ヒアリングや質問をさせて頂いたお陰で、先程の専門用語の意味も理解し、ようやくここに私達が進むべき『ラボラトリー・オートメーション(LA)』のテーマがあった!と確信することができたのでした。
 それは、HTS装置と言って、ハイ・スループット・スクリーニング装置という、人工合成した化学物質を新薬の可能性の有るものだけ試験評価して篩にかける機能を持ったロボットのことでした。

 当時、人工合成の技術が格段に進歩したことにより、何の薬になる可能性があるかは分からない化合物群を大量に製造することが可能となり、その中から有用そうなものだけをピックアップしてくれる、そんな装置でした。
 1990年代に欧米で進歩した新薬開発の方式でしたが、日本では約5年遅れて1995年前後に海外製のHTS装置が大手製薬企業へ入り始めました。さっそく米国の先行企業を調査しますと、このテーマは単発のテーマではなく、前後工程にも自動化されたLA装置群が複数存在していて、将に「線状」での事業展開が可能であることも判明しました。

  このようにしてテーマ設定が出来て、バイオロボット事業の事業企画が整い、当時の事業部長を経て副社長まで説明に行き、前回の第三話でお話した幹部説明の失敗の轍を踏むこともなく、推進の決裁を得ることに成功したのです。


 私自身は、ここまで来れば研究所の新規事業企画から開放されて、本来の機能材料の研究分野へ復帰できるものとばかり思っていましたが、その考えは甘く、バイオ事業分野を理解出る人間が居ないものですから、研究所長から呼ばれて「君自身で、商品企画、商品開発を行い、新規事業立上げをしなさい。」との指示を受けてしまいました。

 私も、うすうす予感はしていたのですが、当時は専門分野である材料分野の研究から離れる決心がまだ付いておらず、この指示に即答することが出来ませんでした。
 それどころか、「なぜ私がバイオをやらねばならないのですか! これから先は、他の人が進めれば良いではないですか!」と、せっかく期待を掛けて下さった研究所長の思いも知らずに、反発してしまったのです。
 私は、材料分野の大学院・修士課程まで修了していましたので、出来れば材料分野の社会人博士課程へ進みたい強い思いを持っていました。
 次期の会社経営を担う事業を立上げることが出来るかも知れないという、絶好の機会が目の前にぶら下がっていたのにも拘わらず反発してしまったことから、当時いかに自分の専門性を活かしたいという思いが強かったかが伺えます。
 論語に「君子、器ならず。」とあります。これは、君子というものは、一つの物だけを入れる容器のような人間であってはならない。何でも入れることの出来る容器のような人間でありなさい、という説明を本で読んだことがあります。
 また一方、「信念と思い込み」の違いは何だろう?と、よく考えていたものでした。
 自分の信念を貫き通すことの大切さと、もしかしたらその信念と思っていることが自分の思い込みでしかないかも?との狭間で、いつも迷い続けていました。

 皆さんは、この様な迷いや悩みをお持ちではありませんか? 
 自分の専門性を活かして博士課程へ進むべきか、修士課程で大学を出て企業へ就職すべきか。会社内の人事異動で自分の専門性とは異なる部署へ異動して、このままこの職場で働くべきか、転職して専門性が活かせる会社へ移るべきか。などなど。
 今の私でしたら、結局どちらでも構わないのではないか、と思っています。
 問題なのは、私はこうでなければいけないとか、私の専門はこれに違いないとか、自分自身の頭で考えたことにだけに、心が縛られていることがいけないことなのではないかと思っています。
 もっと、自由に自分自身の心を開放してあげて、素直に自分の心に向き合って初めて方向性が決まるのではないかと思っています。
 時には、社会情勢や自己組織の状況とかの外部環境で決まるような思いについついなりがちですが、そうではなくて、よく見つめるべきは自分自身の心の底から聞こえて来る自分の声だと思っています。


 話を元へ戻しましょう。
 私は結局、研究所から事業部へ異動となりまして、機能材料の研究者から新規事業の立上げ担当者となりました。
 事業部での最初の仕事は、自分で設定した新規事業企画であるバイオロボット事業を具体的な商品企画にまで進めることでした。
 ここで、お話したいのは、事業企画と商品企画の大きな違いです。つまり、事業分野とその進むべき方向性は決まっていても、それを本当に売れる商品にするためには、また違う飛躍をしなければならないのです。
 競合他社との差別化戦略、訴求すべき主要機能の設定、要素技術開発のシナリオ作り、販売チャネルの開拓、品質保証の方法や法律・規格基準の調査、販売価格と標準原価設定および開発経費の見積り、商品化のタイミング設定等、これまで研究所で経験が薄かったことばかりを設定する必要があったのです。

 その中でも一番苦労した点は、何といっても開発する「製品」を売れる「商品」にするための商品企画を設定することでした。
 海外からの輸入商品ではありますが、先行した商品が既に市場に在りましたので、基本機能が同等以上であることは当たり前で、先行他社商品より優れた魅力が無ければ、新規参入企業の商品など相手にしてもらえません。
 しかし、この製薬企業向けのラボラトリー・オートメーション(LA)装置である、HTS装置を使用して、実際に行うプロセス自体が基本的にまだ解かっていないのですから、個々の機能に関する仕様を決めようにも、何も決まらないのです。
 お客様である製薬企業の方へ聴けば良いではないかとお思いになるかも知れませんが、この創薬探索研究の分野は製薬企業にとっては重要秘密の領域であり、どのようなスクリーニング系で新薬開発を行っているか、どれくらいの数量の化合物ライブラリーを対象にしてスクリーニングしているか、などは社外秘密事項で、私達が知ることが出来ない事項でした。
 そうしている内に、社内では各担当者からの仕様設定への厳しい要請が矢の様に私のところへ飛んで来ました。
 機構設計の担当者からは、装置の大きさは使用される容器の種類や大きさや数量が決まらないと構想設計すら実施できない、ソフト技術者からはプロセス手順や使用デバイスが決まらないとソフト構想が出来ない、電気制御技術者からはスピードや時間制約の条件や負荷が決まらないと、電源やモーターの選定ができない、等々。
 これらの全ては、プロセス設定が明確にならない限り、決められない内容でした。

 そこで、私達は大きな動きに出ることにしました。
 このまま待っていたのでは、秘密となっているアッセイ・プロセスは一向に解からないままである。よって、何らかの手法で製薬企業に入り込んで、私達自らが知る動きをするしか無いとの決断をしました。
 この背景として、東京エレクトロンさんが半導体製造装置事業への参入する際にとられた方式を参考に、プロセス・ベンチマーキングをさせてもらいました。
 つまり、海外装置の日本国内でのサービス事業からスタートして、プロセス情報やデバイス品質・機能、海外製装置の良いところや問題点、顧客の不満事項などを、使用現場で使用者から直接詳しく聞き出して、それらの情報を基に自社装置を開発するという方式です。
 私達も、米国製のバイオロボットを使用しておられた某製薬企業にご提案をさせて頂き、米国製HTS装置のメンテサービスをさせて頂く機会を探し、サービス契約を締結することに成功したのです。
 それから、その製薬企業の研究所へ数ヶ月間張り付いて、米国製装置の仕様把握や実際に採用されているプロセス・プロトコルの把握と理解、そして現在困っておられる問題点などを、つぶさに調査して理解することが出来たのです。

 そうしてようやく、私達の訴求すべき他社優位性の設定、そして現場での問題点を改善した装置仕様の設定、米国とは異なり日本の製薬企業で必要とされている仕様の設定、後発であっても電気メーカーならではの仕様の設定、などを完了することができました。
 この一連の活動を通じて感じたことは、商品というものは、作る側からの論理だけでは決して良い商品は出来ず、実際に使用されるお客様のニーズを現場でしっかり把握して商品化しなければ、作っても売れないものになってしまう、という基本的で解かり切ったことでした。
 しかし、その解かりきったことが、なかなか現実的には実践できないものだということも、実感しました。
 こうして商品企画が終わり、次はいよいよ製品開発です。


 そこで、またまた問題続発です。本当に、世の中はうまく行かないものだと、思いました。
 要素技術開発の段階では、過去に経験の無かった液体分注の技術を開発しましたが、圧力シールの技術が解からないので、リークして液滴がボトボト落下してしまったり、天気によって気圧が変るだけで液体分注の容量がばらついたり、微量分注してもすぐに蒸発してしまって精度が出なかったり、高精度の電子天秤を購入して液量測定をしながら改善活動を継続しました。
 樹脂成形のチップとの相性でも苦労しました。 また界面活性剤などを使用した洗浄技術の開発では、泡が大量に発生して圧力のデッドロック現象の発生、マニホールド配管内への残液の問題、呼び水のようなプライミングの必要性の問題など、基本的なところから出来ないのでした。
 電気制御でも、電源を複数デバイス毎に持たせることにするのか、それとも共通電源にするかで、大きく装置全体の仕様やコスト構造が変ります。 お客様は、デバイスの入れ替えが可能なように、デバイスのプラグ&プレイをご要望です。それには、夫々のデバイス毎にソフト・ドライバーを作り込む必要も出て来ます。RS-232Cでいくのか?半導体製造装置で使用中の専用系統で対応するのか?
 侃々諤々の議論をしました。
 当然、ソフトウエア開発でも、デバイス制御とプログラミング制御の両方の問題をクリアしなければなりませんでした。プロセスはユーザー設定することが必須でしたので、そのユーザーが作成されたプロセスに沿ったスケジューリング生成を行わねばならないのですが、その生成時間が長時間を要すること、そして最適化されたスケジューリングをなかなか生成してくれないこと、などです。
 更に、どうしても自社技術だけでは開発できないと想定された要素デバイスに関しては、中小企業へ助けを求めて共同開発を開始したのですが、間接部門からは相手先企業への品質クレームが多発して、社内調整で相当苦労しました。

 このような問題を何とかして解決しながら、ようやく試作機が完成して動かしてみる結合テスト段階になると、今度はソフトのバグが連発してストップしたり、塗装のアルマイト封孔処理が悪くて白い粉が装置内に降って来たり、電源ユニットからの発熱でステージ上の温度が上昇したり、ロボットアームが搬送中の液体入り容器を落として液体をステージ一面に溢したり、スケジューリングで意味の無い長い待ち時間が設定されていたり、もう問題点が次から次へと出て来る状態でした。
 本当に気が遠くなるような多種多数の問題点を、開発メンバーの必死の頑張りによって、一つずつ解決して行くことで、毎日が慌しく過ぎて行ったように記憶しています。

 そうして迎えた試作機評価会議では、今度は技術的な面以外の新たな問題の発生です。事業部内の関連部署から、様々な問題点やクレームの嵐です。品質保証部門からは品質評価基準が無いと出荷させないとの厳しいお叱りでした。
 バイオ分野では、コントロールとの比較による相対評価が常識的なものでしたので、基準となるものを設定することが難しかったものです。
 また、安全基準をクリア出来ないとの指摘で、急遽装置全体を金属製カバーで覆い、インターロックを付けて、人間の手が入らないようなBOX型の装置へ進化?して行き、当初描いていた構想図とは別物に変貌・発展?して行きました。
 サービス部門からは、製薬企業でのサービスは発癌性の有るものなど毒性物質が床に付いているかもしれないので、床にもぐってのメンテナンス作業はお断りするとの拒否反応。
 購買・調達部門からは、バイオ専用部材の仕入れ先はISO-9001を取得していない中小企業だから口座開設や取引開始は出来ないとのこと。
 人事部門からは、利益が出るまでは開発技術者の増員は出来ないとのこと。経営企画部門からは、他の事業所との合意形成が済んでいないので、市場に出すのは待つようにとのこと。
 営業部門からは、バイオ業界の専門用語も解からないし、顧客知識も無いから営業協力出来ないとのこと。

 いかがですか? こんな状況が、自社内では発生するものです。
 もし、皆さんの中に新規分野の商品を初めて商品化しようと思っておられるのでしたら、近い状況が発生することを、自社内事情から想定しておく必要があると思いますよ。
 このように、商品開発は、企画レベルとはまた異なる、多くの種類の多数の問題点が一気に発生することを覚悟しておかねばなりません。

 これで終わりではありません。まだ、先があります(笑)
 商品開発が終わり、これで商品が売れると思ったら大間違いです。
 でも、売れるものを商品企画して仕様設定し、商品開発をしたのだから売れないというのは、どこかに誤りか問題が有ったからなのではないですか?と質問が飛んで来そうですね。
 それが違うのです。新規事業立上げというのは、もう少しドロドロとした世界にまで足を踏み込む必要性があるのです。
 このギャップは、実際に経験した人にしか解からないと思いますが、そのサワリのところだけでも、少しお話し致しましょう。
 トランプでババ抜きというのがありますよね。そう、ババのカードを最後まで持っていた人が負けになるルールです。
 市場では、このババのカードを最初に引きたくは無い、との思惑が自然に働いて、最初の商品を誰も買いたがらない状況が発生します。
 例えば、ソフトのバグ出しユーザーにはなりたくないとか、新規参入企業の最初の商品を買ってもトラブルばかりではないかとの心配や、サービス体制が構築されていなく、サービス技術者がバイオプロセスのことを知らないから適切で迅速なトラブルシューティングが無理ではないのか、営業からの業界情報が入って来ないのではないか、などの心情的な面を含めた市場の疑心暗鬼の状態が続き、お客様から興味を持って頂いているのは確かなのですが、誰も1号商品を買おうとしません。 更に、そこに突け込む競合他社が居て、何としても1号機を入れさせまいとして、あの会社の1号商品はどうせ長期間は立ち上がりませんよ、などの囁き作戦を行ったり、あの会社は直ぐに撤退しますから将来的なことを考えると購入しない方が良いですよ、などと有りもしない噂を流されたり、様々な妨害活動があちこちから入って来ます。
 ですが、ここで、私の設定した商品企画段階でのコンセプト設定の評価が、市場で出るのです。
 ここが、企画マンとしての勝負どころです。商品企画で設定した訴求コンセプトがもし正しければ、この時点で間違いなく購入ユーザーが現れます。私達の場合も、約半年ほど営業活動を続けてやっと、1号商品を販売することが出来ました。勿論、訴求コンセプトに将に合致したご要望のお客様でしたので、本当に喜んでご購入頂きました。
 その後は、その1号商品の状況を多くのお客様が興味を持って見守っておられて、上手く立ち上がったとの情報を聴くと、その後は直ぐに2号、3号と続けて売れて行きました。

 いかがですか? これまでが、1サイクルの新規事業立上げのお話しでした。
 その後、私は2番目の商品を線状に企画・開発して、3番目の商品の企画段階で、会社を退職することにしました。
 この退職に関しますお話は次回に回させて頂くことにします。
 このバイオロボット事業は、創薬支援ロボット部門として一つの事業部門にまで成長して、既存事業と同列に肩を並べる事業へとして成功させることができました。
 ようやく、既存事業の企画マンと同列、いやそれ以上の貴重な経験をさせて貰ったことになります。
 改めて、当時の研究所長への感謝の気持ちで一杯です。

 今となっては、バイオはイヤ!などと言って、反発などしたことが、恥ずかしくてたまりません。 また一方、この様にしてバイオロボット事業を通じて、製薬企業の研究者の方々や医学・薬学系の先生方と接する機会が多くなって参りますと、世の中の病気で苦しんでおられる多くの患者さんを、何とかして助けたいと日夜必死の取組んでおられる真摯な姿に出会うことが多くなってまいります。
 私自身、本当に胸を打たれるような思いをして、研究者の方々を尊敬するようになって行きました。
 特に、新薬開発までには10年間以上の膨大な年月と労力が掛かるのですが、それを厭わずに研究成果の蓄積と前進に邁進されておられる姿には、惚れ惚れとするものを感じて止みません。

 その研究者の方々と、直に親しくお話しをすることが出来て、更にアッセイ系の構築や研究支援装置や研究支援デバイスなど、リサーチ・ツールをご提供できることが具体的に解かって参りました。
 そして、そのソリューションは、工学的なアプローチを専門として来た人間の方も、医学薬学系の専門家だけでなく、ニーズとシーズをマッチングさせて新たなイノベーションを生み出せる可能性があること。もしかしたら、工学的な専門性を持った人間の方から医学薬学系へ足を踏み入れた方が、早期にイノベーションを起こすことが出来るのかも知れないと、考えるようになっていました。
 そんな折に、島津製作所の田中耕一氏が、蛋白質の質量分析装置でノーベル賞を受賞されるという快挙が報じられ、私はこの思いが確かなものだと確信するに至ったのです。


  第一話と第二話でお話し申し上げましたように、この時点で私個人の過去を振り返って見た時、ようやく『人生の大きな流れ』といったものに思いを巡らすに至ったのです。
 もしかしたら私は、このようなバイオ・医療分野の研究支援商品の開発を通じて、病気で苦しむ患者さんへ希望の灯りを灯すご支援をするために生まれて来たのではないかと。
 第四話までお読み下さった方には、これが単なる偶然と思われるでしょうか? それとも、何か意味の有る偶然の一致と見るべき、と思われるでしょうか?
 第三話と第四話では、実践的なバイオロボット事業立上げの秘話をお話しすることで、同様の業務でご苦労されておられる方々への応援歌になればと思うと同時に、私自身、バイオ研究支援の仕事を進めることが私の人生の生きる意味ではないかと思うようになって行った経緯を、ご参考までにお伝えしました。
  如何でしょうか。人生には、このような生きる意味を感じて、大きく舵を切る決意をする瞬間が有るものでしょうか。



 次回の第五話では、その思いが高じて、遂に会社を退職し、独立起業するまでのお話しをさせて頂きたいと思います。
 経営の勉強をするきっかけとなった、ある知人からの厳しい一言。その後、命を削ってMBAを取得するまで。退職という人生の大事件とハローワーク通い。そして、会社設立へと突き進んで行きます。
  人生の大転機を自ら選択して実践して行く過程で、自分の心の中に交互に押し寄せる恐怖心や希望など、私の心の動きを見て取って頂き、人生の醍醐味を味わうご参考にして頂けましたら幸いです。


  2008年 10月 5日   
                             STEMバイオメソッド株式会社  
                             代表取締役社長   八尋 寛司




             
  Copyright © STEM Biomethod Corporation