八尋寛司のプライベートルーム
「人生の大きな流れ」
    
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■第三話■ 『自己のバイオテクノロジー専門性向上と会社でのバイオ事業企画』  

 今回と次回は、これまでお話した理念や使命感を基に、具体的に事業テーマをどうやって探索したか、その実現のために必要とされるスキルや知識をどうやって習得し身に付けたか、更に会社でのバイオ事業立上げで経験したことはどんなことか等、実践面からのお話を申し上げたいと思います。  

 今回は理念や思いの部分ではなく、実践編の前編といったところでしょうか。  

 第二話でもお話しましたが、小生は大手電器メーカーP社100%子会社のFA事業部(Factory Automation)で、研究所・企画部門・事業部門に20年以上にわたり勤務致して参りました。
 この間、磁性材料を使用した外部記憶装置用の磁気ヘッド事業/開発技術部門、チップマウンター等の半導体組立装置に代表されるFA事業部の研究所/研究員、事業部/技術者、事業企画/企画者、と担当して参りました。
 海外へもたった一人で何度も長期滞在して、大手電気メーカーへの参入画策なども経験して来ました。
 米国展示会では、結構上手に技術と英語の両方が解る、人気者でした。
  その中でも特に、FA研究所時代に研究をしながらの新規事業企画を任され、次期事業の柱の一つとなる事業テーマを探索し自ら立上げるという、大切かつ重要な役目を当時の研究所長から直々に仰せ付けられたことが、人生の大きな歯車が回り始める機縁となりました。
 この新規事業企画及び事業立上げの仕事を通じて、所謂社内アントレプレナー的な業務を、一人で担う経験をさせて頂いたことになります。
  結局、第4話でお話し申し上げますバイオ事業の立上げの内容は、この頃の新規事業企画の仕事が発端となり取組みを開始したのですが、まだ当時は第一話と第二話でお話した「自分の人生の大きな流れ」についての意識などは、全く持っていませんでした。
 「人生の流れ」のような時間の長い、大きな人生の波のようなことは、結構後からでないと解からないものですね。

 さっそく、新規事業企画のことからお話致しましょう。

 研究所の企画と言うと花形職場のイメージがあるかも知れませんが、既存事業とは関係の無い新たな柱となる新規事業企画を実践することは、これまで技術者、研究者として会社内で息をして来た人間にとって、当時は本当に辛いものでした。

 その中でも一番辛かったことは、いくら新しい事業探索とそのテーマ提案を経営幹部へプレゼン発表しても「駄目だ! 面白くない! やり直し!」の連発で、既存事業の企画担当者のように、仕事をすればその分だけ技術と知識が蓄積されていくような仕事上の性質では無かったことです。
 だから、自分自身成果と呼ばれるものが、いくら時間が経過しても無い!このことに、相当苦しみました。
 例えば、一つの事業テーマで調査・探索するためには、それなりの勉強と基礎的な素養がないと、市場では顧客と会話すら出来ません。
 故に、その事業テーマ市場や商品・技術に関する勉強を一生懸命にするため、本を書店で数冊購入しては専門用語を覚えて市場調査に出かけることを数ヶ月単位でこなして行くのですが、結局それも経営幹部への報告会で却下された瞬間に、私のそれまでの成果はゼロへと一気に墜落し、ご破算となってしまうのです。
  そして、また別のテーマへと繰り返していくのですが、当然のごとく競合他社や先行企業も同様に良いテーマを探して事業展開しておられる訳で、そんなに簡単に思うような新規事業テーマが見つかるはずもありません。
 よって、その内に私の自宅の本棚には、自己投資して購入した各方面の書籍などが1テーマ毎にたくさん増えるばかりでした。
 それは、まるで「失敗した残骸」のような苦しい思い出の品物のように当時は思えていました。
  一方、隣では既存事業の企画者が、時間が経過して行く毎に専門性がより高度化し、会社内でも評判の知識と経験を持った人材へと成長し、昇進していく姿がありました。本当に、羨ましい限りでした。  

 このような辛い経験を、丁度今、経験されておられる方々が、たくさんおられるのではないかと想像致します。その様な方は、是非この後の第3話と次の第4話まで、お読み願えましたら、何かのヒントが有るかも知れません。  


 もう一つ辛かったことは、不確実性への不安というものでした。何度も申し上げますが、これまで会社が経験したことの無い、全く新しい事業分野への参画を目指すのですから、当然ながら不確実性は存在します。
 既存事業と異なり、精度はある程度までが限界です。後は、何とかして演繹するなり、予測を立てるなりするしかありません。
 ところが、経営判断を受ける時には、出来るだけ不確実性を回避したい、リスクを取るより安全を期したいとの潜在的な意識が、意思決定する方々の判定で表面化してしまいがちなのです。

 また、既存事業の企画報告を受けた直後の経営判断となると(何故か、その様な順番で報告する機会が多かったのですが・・・)、その調査精度の精緻さ、確実さでは、絶対に勝てる訳が有りません!
 市場規模は?競合企業の動向は?などと質問されて、既存事業では○○億円で、競合トップ企業の最先端技術動向は◇◇ですと歯切れ良く回答するのと比較して、新規事業では市場はまだ形成されていませんとか、類似商品からの予測では・・・、競合企業の動向はなかなか内部情報まで探ることが出来ないので、△△の事象から推察するとこのようになります、といった曖昧極まりない回答となってしまいます。
 そして、経営判断する側の経営幹部の方々も、ご自身の担当事業分野で成功してこられたからこそ現在の経営幹部になられておられる訳で、既存事業を可愛がりたい潜在意識が必ず在るはずです。  

 結局、限られた研究開発費用の投資配分を決定する際には、既存事業で確実に売上貢献する方へ意思決定がなされて行くことになります。このような意思決定を繰り返すと、アンゾフ・モデルの「金のなる木」へばかり資本投下して、「問題児」へは投資しないことで、中長期的にはボディーブローに効いて来ることになるのですが・・・。  
  そんな悔しい思いの中で何とか自分自身の気持ちを整理し、思い直して、「それでは企画スキル自体を研究してみよう」という気になり、当時会社の図書室にあった『研究開発マネジメント』(現在は廃刊)をバックナンバーまで引っ張り出して貪るようにして読み始めました。  
 そこで、初めて気付いたのです。闇雲に手当たり次第に企画探索を進めても、駄目であること。
 そこには、既存事業の技術と経営分析、会社の事業風土への理解、既存事業最適に構築された社内順応化した仕組み・構造への理解、新規事業といってもやはり事業適合性に対するの配慮の必要性、などの検討が重要であったのです。

 私は、そのことに気付くまでは、自分の苦しさと被害妄想、更にはひがみや嫉妬心などで、心が頑なで自縄自縛の状態になっていたのでした。しかしそれからは、同じ変らぬ企画の仕事がまるで目に新しいに仕事のように見え始め、同時に企画業務に関する専門知識やスキルがぐんぐんと増して来たように記憶しています。  

 その結果、新規事業の探索方針と評価項目、特に定量的目標と定性的目標を定め、この方向性に合致しないテーマは、ばっさりと直ぐに捨てて行きました。
 そして、良さそうなテーマが見つかると、それを既存事業との関連性で調べて、全くかけ離れたテーマではなく既存事業とのシナジー効果の説明や、実現可能性や要素技術の共通性の説明などを行ない、線や面での事業展開を提案するように変更して行きました。

 それまでは、既存事業との違いに不満を持ち、意思決定プロセスへの不信感を持っていたのですが、この頃から少しずつ「何だか面白い仕事だなあ!」と感じ始めていました。  
 当時のFA研究所やFA事業部では、生産財いわゆる機械装置を研究・開発及び生産していましたので、機械装置の機構構造や制御技術・ソフトなどの商品自体に関する知識は勿論勉強しましたが、私は他にも、商品である機械装置を使用されるお客様ユーザーのプロセス知識や、その機械装置で完成する商品知識及び市場成長性なども、合わせて勉強と調査をするように実践して行きました。これが結構、生産財の企画マンとしてのスキルでは、とても重要で有ることに気付きました。ようやく、顧客価値提供の意義に気付いた、と言ったところでしょうか。お恥ずかしいですが、試行錯誤の末、ようやく!です。  


 その様な少し前向きな思考が影響してか、「意味のある偶然」を呼び寄せたのか、当時は1980年第の第一次バイオブームが去って、市場での関心が少し薄くなっていた『バイオテクノロジー』と出会うことができたのです。  
 たまたま、日本全国の事業領域を網羅的に調査していた時に、製薬企業の研究者の方々とお目に掛かる機会を得て、「日本は、ロボット分野では世界でも先進国のはずなのに、何故バイオ分野ではロボットを海外から輸入しなければならないのか!」と、お叱りにも近い、本当にお困りの末のお声を拝聴させて頂きました。
 FA事業部は半導体組立事業分野ではありますが、ロボット事業分野の一つに所属していましたので、何か製薬企業の研究者の方々がお困りの点でお役に立つことが有るのではないか、何とかしてご支援申し上げたい、との強い思いに駆られたことを今でも記憶しています。
  では、バイオテクノロジーとは何? と聞かれても、私の学生時代では、理工系の大学受験は物理と化学が必須であり、生物をとることはまず考えられませんでしたので、当然生物Ⅱbは全く勉強していない訳です。
 遺伝子? コドン? 蛋白質? アミノ酸? ???? 白紙状態です。普通はここで諦めるのかも知れませんが、前述のように私の場合は、その解からないところから企画調査及び勉強を始めること自体がいつもの通常状態でしたので、逆に何の予断もせずに自然と「バイオ って何だろう?」と、いつもの調子で他の事業テーマの場合と全く同様に敷居を高くせずに探索開始しました。

 ところが、調査すれども歯が立たないのです。
 一体、何のことを言っているのか、さっぱり解からないのです。
 まず、言葉です。専門用語が奥深くて、これまで調べたテーマのようには行かないとすぐに感じました。
 ですから、何を商品化するか?という何!が当然のごとく全く解からないのです。
 解からないことが、解からない。と言った方が良いかも知れません。
 これは、今となっては笑い話ですが、当時の研究所長と私の二人で、北海道で開催のバイオ関連学会と併設展示会へ参加し、学会の講演発表を聴いたのですが、もうとにかく話している事が全く解からず、所長も同じ思いだったらしく、「会場を出よう!」と言われるので講演会場を出て、今度は併設展示会場へ向かいました。
 しかしです、ここでも状況は変らず、何を出展者へ質問すれば良いかが全く解からず、何とか質問できてもその回答説明の内容を100%理解出来ませんでした。
 ハ!ハ!ハ!の大笑い!です。
 まるで、いきなり言葉が通じない外国へ行ったような感覚でした。
 それでも、その併設展示会で初めて、海外から輸入されたバイオ研究支援用のロボット・自動化機械を直に見る機会を得て、ご一緒頂いた研究所長と、用途・目的は不明であっても、「この機械装置なら、ウチの会社でもきっとやれるぞ!」という何とも不思議な、直感からの合意形成を、二人でジンギスカンと北海道の美味しいビール工場での新鮮なビールをジョッキで飲みながら、行ったものでした。


 そこで次に、私は2つの作戦に出ました。
 1つ目は、徹底してバイオの勉強をすること。 
 2つ目は、市場に出て見てバイオ市場の風を自分自身の肌で感じて見よう、というものでした。
 当時は、大手企業の企画業務でよく用いられていた、調査会社の資料を読み込んで当りを付け、それから自分自身で机上調査するといった手法が一般的でしたが、小生は市場に自ら飛び込むという全く逆からのアプローチを試みたのです。
 バイオの勉強に関しては、高校の生物Ⅱbとチャート式参考書を書店で買って来ては、生物を高校時代にとっていた妻に教えてもらいながらの基礎勉強と、先端的な調査報告書や学会誌、バイオ先進国である米国レポートなどを英文で読む最先端勉強を、休日も自宅で進めていました。
 一方、市場に出て直接バイオ関係者と交流し、現場感覚を把握することに関しては、今から思えばとても大胆でしたが、電話帳からバイオ企業らしき会社を選択しては、P社と同じ銀行系列の企業に絞って、近くの支店へ思い切り電話をして担当者に会って貰うという、恥ずかしいような活動を開始しました。
 その内に、バイオ実験を自分の手作業でやってみないと、結局は何も分からないのではないか!という境地に至りまして、無謀にも試薬関連企業を電話帳で調べて、何となく直感で決めた企業の福岡支店へ電話し、目的とお願いしたいことを告げて訪問させて頂きました。
 これは本当に、凄い偶然といか言い様が無いのですが、たまたま福岡支店へ前月異動して来られた営業課長様が電話に出られて、私の思いを随分と喜んで下さり、普通ではとても考えられないことですが、不要になったがまだ使用可能な償却済みの測定器や洗浄器、ピペットマン、チップやプレートなどの消耗品を無償でご提供下さるのです。
 この課長さんは、それまでは関東方面のバイオ機器開発を担当されておられたそうで、全てに詳しくて小生の解からないことを一つずつ紐解いて下さいました。
 そうして、小生も産まれて初めてのバイオ実験を行なったのです。
 抗原抗体反応をELISA法という方法で可視化して、頂いた吸光度計測器で測定することを実際にやって見たのです。
 そこで初めて、分注器の課題、洗浄器の課題、プロセス上の課題、チップやプレートの課題などを、自分の五体感覚器官全てで感得することが出来たのです。

 この事に味をしめてしまい、更に偶然見つけた神奈川県武蔵溝の口にある神奈川科学技術アカデミー(KAST)というところがバイオテクノロジーに関する座学講義と操作実験コースを開催されていて、そこで座学コースを受講すると共に、遺伝子操作実験コースの基礎コースと応用コースを両方受講し、wetでの実験を当時は東京工業大学の生命工学研究科へ2週間を2回もお邪魔しての、楽しく厳しい大変貴重な経験をさせて頂きました。
 このwet実験コースでは、約20名ほどに受講者が居ましたが、私以外は全て関連分野の経験者で、エレクトロニクス分野から来た私は果たして実験に付いていけるかどうかさえ解からない、妙な怪しい存在でした。
 TAの大学院生が入れ替わり、私のところに来ては「P社?」と首を傾げては、一言二言声を掛けては戻って行かれたのを、印象深く覚えています。
 しかし、半田先生をはじめ、助教授・講師・大学院生、研究室の皆様が暖かくご指導下さったお蔭で、こんな私でも、本当に感激的な経験をすることが出来ました。
 遺伝子のATGCの理解、RT‐PCR、プラスミドの酵素切断とMCサイトへの目的遺伝子導入、大腸菌中への導入とクローニング、宿主への導入と遺伝子組み換え、更に細胞中の遺伝子発現解析・GFPによる蛍光画像観察、目的遺伝子による生産蛋白質解析(各種のブロッティングやGST・hisタグによる簡易精製など)、当時最新だったビアコアによる機器解析などなど、盛りたくさんでした。
 特に、遺伝子導入した後に、遠心分離後僅かにエッペンの底に残ったDNAを用いたゲル電気泳動により、きちんと目的遺伝子の長さだけプラスミドに入っていることが確認出来た時には、身の震えるような、知的好奇心から来るもの凄い高揚感を感じました。
 また、RT-PCRによるRNAからの逆転写作業や、蛋白質のブロッティング作業など、これまで解からなかったことが氷解すると共に、解からない事が多すぎることが解って来て、やっとバイオの入り口に立つことが出来た喜びで一杯だったことが思い出されます。
 現在でも、この時にお世話になった神奈川科学技術アカデミーの方々や先生方、そして一緒に受講した数人の方々とお付き合いが継続しています。
 本当に有り難いことで、心から感謝致しております。


 この頃から、バイオ分野の学会や研究会へ参加しても、その議論しておられる内容がこのようなことであろう、との理解が少しずつ得られるようになり、自分達の目指す事業に関係有るかどうかも、有る程度見極めることが出来るようになって来ました。

 さて、ここまでは、勉強と市場調査についてまででしたが、これでは会社としての本来目的であります、次期事業の柱の一つとなる新規事業企画の立案にはなりません。
 自分達が今まで理解できなかったことを理解できるところまで、ようやく到達したに過ぎません。
 競合他社、先行してバイオ機器市場に参入している会社にとっては、既に当り前になっていることころまで、追いついたに過ぎないのです。
 ですから、何を、何の目的で、誰に、いつ、どのようにして、価値提供するのか?との基本的な新規事業企画は一切何も出来ていないのです。
 さあ、困りました。市場調査と事業企画の違いは、このように大きいのです!
 よく、市場の技術動向や商品動向を調査して、それだけで満足している企画担当者を見かけますが、それでは自分の主体的な意思や、客観的な知識に基づく論理といったものが何も形成されておらず、話になりません。
 よって、具体的に、商品イメージを絞り込むことが、私には当然求められました。
 それも、「単発」の打ち上げ花火のようなものではなく、その商品が「線状」に波及商品として横展開して行けるようなものであり、将来的には他の線へも複線化して「面状」での商品展開が期待されるような、そんな具体的事業領域を見つけ出す必要がありました。
 出来れば、まだ先行企業が少ない、間口は狭くて中に入ると広くなるような事業領域が理想的でした。


 今回は、ここまでとし、新規事業企画とバイオ事業へのアプローチの事例をお話し申し上げました。
 研究分野でも同様かと思いますが、産業分野でも、そのテーマ探しがとても重要で、仮説構想力と申しましょうか、問題意識を基にした新しい仮説やアイデアを現実と結びつけながら、自ら検証する作業を地道に繰り返し繰り返し、何度失敗しても、成功を信じて実践していくことが大切であることに気付かされました。

  「セレンディピティー」という言葉を、皆様はご存知でしょうか?
 語源となった物語のことは割愛させて頂き、その意味するところをお話しますと、本来探そうとしていた目的の宝物はなかなか見つからないものですが、その宝物探しの途中で、予期していなかった目的以外の別の宝物を見つけることが有る、といった内容のものです。
 ノーベル賞受賞者の方々のお話で、その研究成果は最初から目的としていた訳ではなくて、たまたま失敗したことや実験を間違ったことがその発見や発明につながった理由である、ということをよく聞きます。
 第1話でもご紹介しました、フレミングのペニシリンの発見もそうですし、江崎玲於奈氏の不純物半導体の発見もそう、田中耕一氏のMALDI-TOF-MASの開発もそうです。
 ただし、ここで忘れてはならないことは、いずれの場合にも問題意識をしっかり持って、成功への信念を継続させて、弛まぬ努力を精力的に実践していた、という点です。
 何も、偶然に、棚ボタ式に成果が転がり込んで来た訳では無く、そこに身を置いて一生懸命に宝探しをしていたからこそ、その偶然の果実を得ることができたと思うのです。

 新しく会社に入られた方、企画業務に取組んでおられる方、研究室での研究テーマ設定に苦しんでおられる方、そんな方々へ、企画業務や新規テーマ探索の面白さや難しさ、そして少しでも実践的な工夫のヒントとなることが、ご紹介が出来ましたでしょうか。

 次回の第4話は、いよいよバイオロボット事業の立上げ、要素技術開発及び製品開発、市場への商品展開とサービス、そしてエレクトロ二クス系の工学出身者でも医学・新薬開発へのご支援が出来るお話へと、進んで参ります。どうか、引き続きご覧下されば幸甚です。


   2008年 4月 28日

                               STEMバイオメソッド株式会社
                               代表取締役社長   八尋 寛司




             
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